
絵師・河田小龍 安政元年(1854年)6月、坂本龍馬は1年4ヶ月の江戸遊学を終え、故郷土佐に帰国した。心身ともにたくましく成長した龍馬は、師匠・日根野弁治にも剣術修行の成果を認められ、閏7月に『小栗流 ……

土佐の彗星 文久2年(1862年)3月に脱藩した坂本龍馬は江戸の桶町千葉道場に身を寄せていたが、武市瑞山ひきいる土佐勤王党とは距離を置きながらも連絡をとり合っていた。9月頃に間崎哲馬・門田為之助・上田 ……

時勢切迫 文久2年(1862年)2月29日、坂本龍馬は約4ヶ月の剣術詮議を終え土佐に帰国した。さっそく龍馬は土佐勤王党主・武市瑞山をたずね、久坂玄瑞との会談や視察してきた情勢を報告する。 長州藩は航海 ……

一藩勤王 万延元年(1860年)7月、土佐下士層の指導者である武市瑞山(半平太)は、岡田以蔵ら門弟を引きつれ剣術修行に出かけた。真のねらいは、中国・九州を遊歴して情勢を視察するとともに、各藩の志士たち ……

水戸の遊説家 安政5年(1858年)11月19日、江戸から帰国した坂本龍馬のもとに、加藤於莵之助・菊地清兵衛を名のる手紙が届いた。加藤の本名は住谷寅之助、菊池は大胡聿蔵。彼らは水戸藩の尊王攘夷派で、孝 ……

剣術修行 坂本龍馬が剣術を習いはじめたのは、14歳のときのことである。家から近い高知城下築屋敷にある日根野弁治道場に通い小栗流を学んだ。小栗流は小栗仁右衛門正信を流祖とし、新陰流に和術を加えた流派で和 ……