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京都見廻組・今井信郎説 (五) 真説! 近江屋事件

京都見廻組・今井信郎説まとめ

  • 実行
    1. 京都見廻組
      指揮: 佐々木只三郎
      襲撃班: 今井信郎、渡辺吉太郎、桂隼之助
      見張班: 高橋安次郎、土肥仲蔵、桜井大三郎
  • 黒幕
    1. 京都守護職・松平容保
  • 動機
    1. 伏見奉行所同心の殺傷
  • 目的
    1. 捕縛、場合によっては殺害
  • 名札
    1. 松代藩
  • 誰の鞘
    1. 渡辺吉太郎

ドキュメント「真説! 近江屋事件」

慶応3年(1867年)、京都守護職の会津藩主・松平容保は、薩長同盟や大政奉還で暗躍し幕府に害を及ぼした坂本龍馬の排除を決断した。しかし、公務の執行とはいえ、龍馬の背後には薩長土の存在がある。また、寺田屋遭難で包囲されたときにはピストルを発し、幕吏数名を死傷させ脱出していることから、秘密裏かつ確実におこなう必要があった。

そこで藩重役・手代木直右衛門と協議し、手代木の実弟で京都見廻組与頭・佐々木只三郎に龍馬殺害を命じた。佐々木には、かつて幕府を謀った尊攘志士・清河八郎を江戸赤羽橋で暗殺したことがあり、じゅうぶんな実績がある。

さっそく佐々木は腕利きの6人、今井信郎渡辺吉太郎桂隼之助高橋安次郎土肥仲蔵桜井大三郎を集め、「土州藩・坂本龍馬が謀反を企ている。昨年ピストルを撃ち逃げられているので、必ず召し捕るため万一手に余るときには殺害せよ」と厳命した。龍馬は河原町の土佐藩邸前にある近江屋2階に潜伏しており、踏み込んださいの各々の役割をあらかじめ定めた。2階には今井・渡辺吉・桂が突入し、1階は高橋・土肥・桜井が制圧して藩邸からの救援があればこれを防ぐことにした。

そして11月15日の昼2時ごろ、佐々木一同は近江屋に向かった。先行した桂が在宅を探ったところ留守だったので、一同は東山周辺で時間をつぶし、夜8時ごろに到着した。

佐々木はひとりで立ち入り、2階へ来意を告げる。龍馬の従僕・藤吉がおりてきたので松代藩と書いた名札を差し出し、「才谷先生に面会を願いたい」と申し入れました。藤吉が名札をもって2階へあがったので、その隙に今井・渡辺吉・桂が侵入。藤吉のあとを追いかけ階段をあがりきったところで、その背を抜き打ちに斬りつけた。藤吉は抵抗したが、さらに数太刀あびせられ絶命した。

手はず通り高橋・土肥・桜井らは近江屋の奥の部屋へ入り込み、白刃をもって騒ぐ近江屋新助一家を取りしずめた。階下から聞こえる大きな物音に、龍馬は藤吉たちが騒いでいると思い「ホタエナ」と大喝する。

2階に龍馬がいることがわかると階段の入り口を佐々木が固め、今井・渡辺吉・桂の3人は2階奥の八畳間に疾風のごとく斬り込んだ。渡辺吉は中岡の後頭部を、今井は龍馬の前額部を斬撃する。事態を知った龍馬は、床の間にある佩刀・陸奥守吉行を取ろうと身をひねったが、さらに今井の二の太刀が右肩から袈裟がけに背中を走った。

気丈にも龍馬は刀をつかんで立ちあがると、迫りくる今井の三の太刀を鞘のままで受け止めた。しかし、今井の斬撃は凄まじく、鞘越し3寸程刀身を斜めに削り、その余勢をもって龍馬の前額部を鉢巻なりに深く横にはらった。脳しょうが吹き出し、もはやこらえきれず龍馬はその場に崩れる。今井はそのまま踏み込み左右の腹を斬りつけ、ついに龍馬は動かなくなった。

中岡も刀を屏風の後ろに置いていたので取る余裕がなく、腰にさした短刀で鞘のまま防戦。しかし、初太刀の深手で思うように体が動かない上に渡辺吉・桂の2人が相手で、左右の手足をメッタ斬りにされ昏倒する。その右手首はわずかに皮を止めてほとんど切断されていたという。

報告を受けた佐々木が2階にあがり検分する。念のため中岡のでん部を骨に達するほど深く斬りつけ、動かないことを確かめると「もうよい、もうよい」と撤収を命じた。二条通りで高橋と渡辺吉の2人は見廻組屋敷へ帰り、その他のものはそれぞれの旅宿へと帰宅していった。


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