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武田信勝i  2021年06月19日   2000年10月03日
武田信勝 列伝 甲斐武田家21代当主。祖父・信玄の跡を継ぎ、16歳で武田家当主となるべく定められる。家督を継ぐべき年、織田軍の侵攻を受けて天目山付近で自害、武田家は滅亡した。 ※史実の寿命は16歳。武 ……

山県昌満i  2021年06月19日   2000年10月03日
山県昌満 列伝 武田家臣。山県昌景の子。長篠合戦で父と兄が戦死したため、幼くして家督を継ぐ。駿河田中城代となり、遠江方面を守備。甲斐征伐の際、捕縛され殺された。

馬場昌房i  2021年06月19日   2000年10月03日
馬場昌房 列伝 武田家臣。馬場信春の嫡男。牧之島城代を務めた。織田信長の甲斐侵攻では、深志城を守備したが、織田長益に城を明け渡す。のちに牧之島城にて討死した。

内藤昌月i  2021年06月19日   2000年10月03日
内藤昌月 列伝 武田家臣。保科正俊の三男。内藤昌豊の養子。昌豊の死後に家督を継ぎ、箕輪城代となる。武田滅亡後は滝川一益に従うが、神流川の合戦後は北条家に仕えた。 内藤昌豊の家督を継がせるため実父設定に ……

高坂昌澄i  2021年06月19日   2000年10月03日
高坂昌澄 列伝 武田家臣。高坂昌信の子。海津城を守る父の代理として長篠合戦に出陣。長篠城を包囲するも、救援軍の到着を許し、酒井忠次率いる奇襲隊に敗れ、戦死した。

春日信達i  2021年06月19日   2000年10月03日
春日信達 列伝 【列伝】武田家臣。高坂昌信の次男。父の死後家督を継ぎ、海津城代となる。武田滅亡後は、森長可に属した。のちに上杉景勝に仕えたが、内通が露見して誅殺された。

曽根昌世i  2021年06月19日   2000年10月03日
曽根昌世 列伝 武田家臣。奥近習六人衆。武藤嘉兵衛(真田昌幸)と並んで活躍し、信玄から「我が両目」と称賛された。主家滅亡後は徳川家康に仕え、武田家遺臣を家康に味方させた。 奥近習六人衆のひとり。

土屋昌次i  2021年06月19日   2000年10月03日
土屋昌次 列伝 武田家臣。奥近習六人衆の一人。三方ヶ原の戦いで、鳥居忠広を一騎打ちで討ち取り武名を上げた。長篠合戦で、滝川一益率いる鉄砲隊の銃撃を浴び、戦死した。 奥近習六人衆のひとり。

甘利信忠i  2021年06月19日   2000年10月03日
甘利信忠 列伝 武田家臣。甘利虎泰の子。奥近習六人衆の一人。父の死後家督を継ぎ、武田家の「両識」を務めた。各地の豪族を説得するなど、外交の取次役として活躍した。 奥近習六人衆のひとり。

諸角虎定i  2021年06月27日   2000年10月03日
諸角虎定 列伝 武田家臣。信虎・信玄時代から侍大将として仕え、飯富虎昌らとその武勇を並び賞賛された。川中島合戦では、上杉軍の猛攻から本陣を守り、討ち死にした。

原昌胤i  2021年06月27日   2000年10月03日
原昌胤 列伝 武田家臣。合戦における陣取りの判断の的確さには、信玄も一目置いていた。長篠の合戦でも決戦に反対するが勝頼に容れられず、敵軍に突撃を敢行し戦死。 武田二十四将のひとり。

小宮山友晴i  2021年06月27日   2000年10月03日
小宮山友晴 列伝 武田家臣。使番十二人衆。勝頼の側近衆と対立、蟄居させられた。織田家の侵攻に多くの家臣が逃亡する中、甲斐天目山に駆け付け討死した。忠臣と評された。 使番十二人衆のひとり。

長坂昌国i  2021年06月27日   2000年10月03日
横田綱松 列伝 武田家臣。原虎胤の子。横田高松の娘を娶り、家督を継ぐ。足軽大将として騎馬30騎を率いた。和田業繁と和田城を守り、上杉謙信を撃退する戦功を立てた。

横田綱松i  2020年11月14日   2000年10月03日
横田綱松 【列伝】武田家臣。原虎胤の子。横田高松の娘を娶り、家督を継ぐ。足軽大将として騎馬30騎を率いた。和田業繁と和田城を守り、上杉謙信を撃退する戦功を立てた。

横田尹松i  2021年06月27日   2000年10月03日
横田尹松 列伝 武田家臣。綱松(廉景)の五男。甲州征伐では、岡部元信と高天神城に籠城したが、徳川軍の攻撃を受け落城。主家滅亡後は徳川家に属し、旗本となり5千石を領した。

海野信親i  2021年06月27日   2000年10月03日
海野信親 列伝 武田信玄の次男。信濃の豪族・海野家の名跡を継ぐ。幼少時に盲目となったため出家し、龍芳と号した。子・信道の子孫は高家となり、武田家の血脈を保った。

河窪信実i  2021年06月27日   2000年10月03日
河窪信実 列伝 武田信玄の異母弟。甲斐河窪村を領したことから河窪姓を名乗った。長篠の合戦では、鳶ノ巣砦を守る。徳川軍別働隊の猛攻を4度押し返したが、討死した。

葛山信貞i  2021年07月03日   2000年10月03日
葛山信貞 列伝 武田信玄の六男。仁科盛信の同母弟。駿河の豪族・葛山氏元の養子となり、葛山の名跡を継ぐ。織田信長の甲斐侵攻の際、甲斐善光寺において自刃した。

武田信清i  2021年07月05日   2000年10月03日
武田信清 列伝 信玄の七男。兄・勝頼の命を受けて還俗し、安田家を継ぐ。武田滅亡後は、上杉景勝の正室であった姉・菊姫を頼る。高家衆筆頭に遇され、のち武田姓に復帰。

望月信永i  2021年07月05日   2000年10月03日
望月信永 列伝 武田家臣。武田信繁の三男。川中島の合戦で兄・信頼が戦死したため、望月信雅の養子となり家督を継ぐ。望月城主を務め、一門衆として60騎を率いた。

多田新蔵i  2021年07月05日   2000年10月03日
多田新蔵 列伝 武田家臣。多田満頼の子。長篠合戦では徳川軍に助命されたが、武士の名折れと敵陣に斬り込み討死した。「天晴なる武士」と織田信長に称賛されたという。

板垣信憲i  2021年07月14日   2000年10月03日
板垣信憲 列伝 武田家臣。板垣信方の子。父の死後家督を継ぎ、武田家最高職の「両織」に任ぜられた。幾多の不行跡を起こしたため、諏訪城代を解任され追放処分となった。

乾正信i  2021年07月14日   2000年10月03日
乾正信 列伝 山内家臣。板垣信憲の子。父と共に武田家を追放されたが、小田原征伐で活躍し山内一豊に召し抱えられた。家老・乾和三から姓を与えられ、馬廻役を務めた。

駒井政直i  2021年07月14日   2000年10月03日
駒井政直 列伝 武田家臣。駒井高白斎の子。信玄・勝頼の2代に侍大将として仕えた。武田家滅亡後は徳川家康に降り、武田遺臣をまとめて「天正壬午起請文」を提出した。

依田康国i  2021年07月14日   2000年10月03日
依田康国 列伝 徳川家臣。蘆田信蕃の長男。父の死後家督を継ぎ、家康から松平姓と小諸城を与えられた。上田合戦で感状を受ける活躍を見せたが、上野石倉城の戦いで戦死。

土屋貞綱i  2021年07月14日   2000年10月03日
土屋貞綱 列伝 武田家臣。はじめ今川家に属すが、武田信玄の駿河侵略に降り家臣となる。水軍大将として武田海賊衆を編成、伊勢から向井正綱と小浜景隆を招聘した。

広瀬景房i  2021年07月14日   2000年10月03日
広瀬景房 列伝 武田家臣。信玄に「軽薄なる事なき勇士なり」と評され、赤備えの中で白母衣張の旗指物を許された。主家滅亡後は井伊直政に仕え、武田流の軍法を伝えた。

三科形幸i  2021年07月14日   2000年10月03日
三科形幸 列伝 武田家臣。武田の赤備えにおいて広瀬景房と並ぶ豪傑として知られ、金輪貫の旗指物を許された。主家滅亡後は徳川家康に召し抱えられ、井伊直政に属した。

早川幸豊i  2021年07月14日   2000年10月03日
早川幸豊 列伝 武田家臣。武田家滅亡時に徳川家康に降り、のちに井伊直政の付足軽大将となった。馬場信春から伝授された城取り技術を見込まれ、彦根城築城にたずさわった。

小原継忠i  2021年07月16日   2000年10月03日
小原継忠 列伝 武田家臣。勝頼の高遠城入城以来、側近として仕える。勝頼が当主となると、奉行人として甲斐・信濃の経略を行った。武田家滅亡の際は一族とともに殉じた。

跡部勝忠i  2021年07月16日   2000年10月03日
跡部勝忠 列伝 武田家臣。同心衆15騎を率いた。主君・勝頼に重用され、勘定奉行の筆頭として行政に手腕を発揮した。織田信長の甲斐侵攻の際、捕らえられ処刑された。

跡部昌忠i  2021年07月16日   2000年10月03日
跡部昌忠 列伝 武田家臣。勝忠の長男。勝頼の使番、近習を務めた。武田家滅亡後は徳川家に仕え、桜井信忠、石原昌明、小田切茂富と共に四奉行として甲斐平定に貢献した。

青沼忠重i  2021年07月16日   2000年10月03日
青沼忠重 列伝 武田家臣。同心衆16騎、足軽30人を率いた。勝頼の代に勘定奉行となり、鉄砲の調達を担った。御館の乱で勝頼が出兵した際は、甲府の留守居役を務めた。

秋山昌成i  2021年07月16日   2000年10月03日
秋山昌成 列伝 武田家臣。跡部勝資・長坂光堅とともに勝頼の側近として活躍した。織田信長の甲斐侵攻の際、小山田信茂に同調して勝頼から離反、捕らえられ処刑された。

小山田虎満i  2021年07月16日   2000年10月03日
小山田虎満 列伝 武田家臣。郡内の小山田家とは別流。板垣信方の副将を務め、信玄の信濃進出に貢献した。築城の名手といわれ、築いた城は落城することがなかったという。

小山田昌行i  2021年07月16日   2000年10月03日
小山田昌行 列伝 武田家臣。虎満の子。備中守と称した。織田信長が甲斐に侵攻すると、相備衆として信濃高遠城の救援に向かう。仁科盛信とともに頑強に抵抗したが討死した。

山高親之i  2021年07月16日   2000年10月03日
山高親之 列伝 武田家臣。武川衆随一の猛将。信虎・信玄の2代に仕え、武田信繁に属した。第四次川中島合戦の際、討死した信繁の首級を上杉軍から奪還し、信玄に献じた。

川手良則i  2021年07月16日   2000年10月03日
川手良則 列伝 井伊家臣。今川家滅亡後に武田信玄に仕え、山県昌景に属して各地を転戦。のちに徳川家に仕え、家康の命で井伊直政の異母姉・高瀬を娶り、井伊家一門となる。

曲淵吉景i  2021年07月16日   2000年10月03日
曲淵吉景 列伝 武田家臣。武勇に優れ、板垣信方の草履取りから足軽大将になった。頑固な性格から、生涯75回の訴訟沙汰を起こし、勝訴1回和解1回、他は全て敗訴だった。

浅利信種i  2021年07月16日   2000年10月03日
浅利信種 列伝 武田家臣。騎馬120騎の赤備えを率いて、信濃・上野攻略で活躍。箕輪城代に任じられ、西上野を統治した。三増峠の戦いで北条軍の銃撃を受け、戦死した。

浅利昌種i  2021年07月16日   2000年10月03日
浅利昌種 列伝 武田家臣。父の死後家督を継ぐ。武田滅亡後は徳川家に仕え、本多忠勝に属す。不遇な立場におかれ、本多重次は「へつらう姿は哀れに思う」と記している。

諏訪頼豊i  2021年07月16日   2000年10月03日
諏訪頼豊 列伝 武田家臣。満隣の嫡男。諏訪衆の筆頭として、弟・頼忠とともに諏訪大社の再建に尽力。主家滅亡の際、武田家離反の進言を退け、鳥居峠の戦いで討死した。

諏訪頼辰i  2021年07月16日   2000年10月03日
諏訪頼辰 列伝 武田家臣。満隣の次男。兄・頼豊とともに勝頼に仕えた。織田信長の甲斐侵攻の際、仁科盛信に従い高遠城に籠城したが、織田軍の猛攻を受けて戦死した。

金丸虎義i  2021年07月16日   2000年10月03日
金丸虎義 列伝 武田家臣。筑前守を称した。武田晴信の傅役を務め、侍大将として信濃攻略で活躍。金丸家は武田家第14代当主・信重が金丸姓を称したのに始まるという。

秋山昌詮i  2021年07月16日   2000年10月03日
秋山昌詮 列伝 武田家臣。金丸虎義の子。左衛門佐を称す。秋山信友の養子となった。信濃駿河進出に活躍したが、若くして病死した。秋山家の家督は弟・源三郎が継承した。

金丸定光i  2021年07月19日   2000年10月03日
金丸定光 列伝 武田家臣。金丸虎義の子。信玄・勝頼2代に侍大将として仕えた。織田信長の甲斐侵攻の際、弟・土屋昌恒らとともに勝頼に付き従い、天目山で討死した。

秋山源三郎i  2021年07月19日   2000年10月03日
秋山源三郎 列伝 武田家臣。金丸虎義の子。兄・昌詮が病死したため、遺言により秋山信友の家督を継ぐ。織田信長軍が甲斐に侵攻した際は勝頼に従い、甲斐天目山で戦死した。

依田康勝i  2021年07月19日   2000年10月03日
依田康勝 列伝 徳川家臣。蘆田信蕃の次男。兄・康国が戦死したため家督を継ぎ、上野藤岡3万石を領す。囲碁で口論の末、同僚を殺害し出奔。のち結城秀康の家臣となった。

快川紹喜i  2021年07月31日   2000年10月03日
快川紹喜 列伝 臨済宗の僧。武田信玄に招かれ恵林寺の住職となる。武田滅亡の際、織田信長の怒りを買い焼き討ちされるも、「心頭滅却すれば火もまた涼し」の偈を残した。

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