2019年12月14日
2000年08月03日
坂本龍馬年譜 (五)
慶応元年 (1865年) 坂本龍馬31歳 | |
3月12日 | 神戸海軍操練所、廃止される。
『藤岡屋日記』
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4月5日 | 京都の吉井幸輔方で土方楠右衛門と面談する。
『回天実記』
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4月-日 | 花見の帰途に会津藩巡邏隊に遭遇する。
『維新土佐勤王史』
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4月25日 | 神戸海軍塾の同志とともに大坂を出立する。
『坂本龍馬手帳摘要』
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4月26日 | 薩摩藩船胡蝶丸に乗り込み、鹿児島に向かう。
『坂本龍馬手帳摘要』
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4月29日 | 胡蝶丸が長崎に寄港し、龍馬は岩尾俊貞、野々口為志と出会う。
『5月7日付 横井小楠書簡』
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5月1日 | 胡蝶丸、鹿児島に到着する。
『坂本龍馬手帳摘要』
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5月16日 | 薩長和解の実現に向けて、鹿児島を出立する。
『坂本龍馬手帳摘要』
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5月17日 | 川内宿から阿久根宿に向かう。
『坂本龍馬手帳摘要』
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5月18日 | 肥後米ノ津に向かう。
『坂本龍馬手帳摘要』
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5月19日 | 米ノ津から船で太宰府に向かう。
『横井小楠関係文書』
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同日 | 熊本沼山津の横井小楠を訪問する。
『横井小楠関係文書』
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5月23日 | 大宰府に到着し、薩摩藩士・渋谷彦助と面談する。
『坂本龍馬手帳摘要』
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5月24日 | 三条実美ら五卿に拝謁し、薩長和解を説く。
『坂本龍馬手帳摘要』
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5月25日 | 東久世通禧に謁見し、「偉人なり奇説家也」と評される。
『東久世伯爵公用雑記』
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5月27日 | 三条実美に再び拝謁する。
『坂本龍馬手帳摘要』
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5月28日 | 小田村素太郎、安芸守衛とともに大宰府を出立する。
『坂本龍馬手帳摘要』
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5月29日 | 龍馬ら木津之宿に宿泊する。
『坂本龍馬手帳摘要』
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閏5月1日 | 下関に到着して小田村素太郎の紹介で入江和作をたずね、越綿屋弥兵衛方に宿泊する。
『坂本龍馬手帳摘要』
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閏5月2日 | 病気のため町村屋清蔵方に移り静養する。
『坂本龍馬手帳摘要』
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閏5月4日 | 下関に宿泊する。
『坂本龍馬手帳摘要』
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閏5月5日 | 白石正一郎方で時田少輔、土方楠右衛門と面談する。
『三条実美公年譜』
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同日 | 土方楠右衛門から聞いた将軍の江戸出立を伝える手紙を渋谷彦助に書く。
『閏5月5日付 龍馬書簡』
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閏5月6日 | 時田庄輔の案内で桂小五郎と面談する。
『回天実記』
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同日 | 野村靖之助をたずね、薩長和解案を述べるが拒絶される。
『維新土佐勤王史』
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閏5月7日 | 龍馬と土方楠右衛門、桂小五郎らの訪問を受ける。
『回天実記』
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閏5月10日 | 椋梨伝八郎の訪問を受ける。
『坂本龍馬手帳摘要』
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閏5月21日 | 中岡慎太郎、下関に到着。龍馬、桂小五郎、安芸守衛と面談する。
『海西雑記』
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閏5月29日 | 中岡慎太郎とともに下関から京都に向かう。
『海西雑記』
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6月14日 | 備前西大寺に到着する。
『海西雑記』
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6月15日 | 龍馬ら藤井宿に到着し、備前藩士・津田彦右衛門、小松源治と面談する。
『海西雑記』
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7月-日 | 大和十津川から上京した田中顕助の援助を受ける。
『維新土佐勤王史』
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7月19日 | 長州に向かう中岡慎太郎と田中顕助を伏見まで見送る。
『維新風雲回顧録』
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7月27日 | 福岡藤次とともに伊達宗城に拝謁する。
『伊達宗城在京日記』
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8月中旬 | 伏見寺田屋と日野屋を常宿とし、西郷伊三郎の変名を使用する。
『9月9日付 龍馬書簡』
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9月6日 | 京都寺町で川村盈進に出会い、実家の様子を聞く。
『9月7日付 龍馬書簡』
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9月7日 | 権平・乙女・おやべに長州藩の動静を伝える手紙を書く。
『9月7日付 龍馬書簡』
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9月9日 | 乙女・おやべにお龍(楢崎龍)を紹介する手紙を書く。
『9月9日付 龍馬書簡』
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同日 | 池内蔵太の家族に内蔵太の消息を知らせる手紙を書く。
『9月9日付 龍馬書簡』
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9月24日 | 西郷吉之助とともに京都を出立し、大坂へ下る。
『坂本龍馬手帳摘要』
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9月26日 | 兵庫に到着する。
『坂本龍馬手帳摘要』
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9月28日 | 胡蝶丸で伊予青島に到着し、同地に宿泊する。
『坂本龍馬手帳摘要』
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9月29日 | 周防上関に到着する。
『坂本龍馬手帳摘要』
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10月3日 | 小田村素太郎とともに宮市から山口に入る。
『10月4日付 山田宇右衛門等書簡』
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同日 | 池内蔵太に薩摩藩の方針について手紙を書く。
『10月3日付 龍馬書簡』
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10月4日 | 松原音三、小田村素太郎、広沢兵助と面談し、薩摩への兵糧米提供の確約を得る。
『10月4日付 広沢真臣書簡』
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10月7日 | 下関の白石正一郎を訪ねる。
『白石正一郎日記摘要』
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10月11日 | 印藤聿と面談する。
『10月12日付 龍馬書簡』
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10月12日 | 前日の印藤聿と対立した会談内容について、妥協を求める手紙を書く。
『10月12日付 龍馬書簡』
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10月14日 | 下関新地の林家で桂小五郎、高杉晋作、井上聞多、伊藤俊輔らと会食する。
推定『中野半左衛門日記』
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10月21日 | 継母・伊与(62)、死去する。
『墓碑銘』
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11月24日 | 大坂を出立し、長崎に向かう。
『12月3日付 龍馬書簡』
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11月26日 | 上関に上陸する。
『12月3日付 龍馬書簡』
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12月3日 | 印藤聿に下関到着を知らせる手紙を書く。
『12月3日付 龍馬書簡』
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12月14日 | 岩下佐次右衛門、吉井幸輔に西国事情を知らせる手紙を書く。
『12月14日付 龍馬書簡』
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同日 | 長州藩海軍局総官・中島四郎と面談し、「桜島丸改定条約」を結ぶ。
『12月24日付 中島四郎書簡』
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12月29日 | 印藤聿に近況を知らせ、上京の同伴者を求める手紙を書く。
『12月29日付 龍馬書簡』
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この頃 | 姉・乙女、岡上家を離退する。
『慶応3年11月説あり』
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