2022年03月20日
2000年08月03日
坂本龍馬年譜(六)
慶応二年 (1866年) 坂本龍馬32歳 | |
1月1日 | 印藤聿の紹介で長府藩士・三吉慎蔵と出会う。
『三吉慎蔵日記』
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1月2日 | 引き続き三吉慎蔵と面談し、上京を決意する。
『三吉慎蔵日記』
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1月上旬 | 高杉晋作から送別の漢詩をおくられる。
『同漢詩』
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1月10日 | 三吉慎蔵とともに京都に向けて出立する。
『三吉慎蔵日記』
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この頃 | 高杉晋作から拳銃をおくられる。
『12月4日付 龍馬書簡』
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1月14日 | 上杉宋次郎(近藤長次郎)、英国密航の計画が露見して長崎で自刃する。
『海舟日記』
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1月16日 | 龍馬ら神戸に到着する。
『三吉慎蔵日記』
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1月17日 | 池内蔵太、新宮馬之助が加わり、通船で大坂に向かう。
『三吉慎蔵日記』
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1月18日 | 大坂薩摩藩邸に入る。
『三吉慎蔵日記』
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同夜 | 大久保一翁を訪問し、厳重手配の忠告を受ける。
『三吉慎蔵日記』
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1月19日 | 龍馬ら薩摩藩の船印を掲げて淀川を渡り、伏見寺田屋に宿泊する。
『三吉慎蔵日記』
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1月20日 | 三吉慎蔵を寺田屋に残し、池内蔵太、新宮馬之助をともない入京する。
『三吉慎蔵日記』
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同日 | 西郷吉之助、木戸貫治(桂小五郎)と会談をおこない、薩長和解締結を仲介する。 |
同日 | 池内蔵太の家族に手紙を書く。
『1月20日付 龍馬書簡』
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1月21日 | 西郷吉之助と木戸貫治の会談が成功したことを三吉慎蔵に伝える手紙を書く。
『三吉慎蔵日記』
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同日 | 伏見奉行所役人、寺田屋周辺の探索を行う。
『三吉慎蔵日記』
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1月22日 | 小松帯刀、西郷吉之助とともに木戸貫治の送別に出席する。
推定『坂本龍馬手帳摘要』
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同日 | 伏見奉行所役人、引き続き寺田屋周辺の探索を行う。
『三吉慎蔵日記』
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1月23日 | 夜になって京都から伏見寺田屋に戻る。
『坂本龍馬手帳摘要』
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1月24日 | 未明に伏見奉行所役人の襲撃を受ける。負傷しながらも三吉慎蔵とともに脱出し、薩摩藩伏見藩邸に匿われる。
『12月4日付 龍馬書簡』
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1月30日 | 寺田屋を脱したお龍とともに京都薩摩藩邸に移り、西郷吉之助の庇護を受ける。
『三吉慎蔵日記』
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2月3日 | 印藤肇に寺田屋遭難事件を伝える手紙を書く。
『2月3日付 龍馬書簡』
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2月5日 | 木戸貫治が薩長同盟の内容を記した手紙に、朱書きの裏書きをする。
『同日付文面』
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2月6日 | 木戸貫治に寺田屋遭難事件を報告する手紙を書く。
『2月6日付 龍馬書簡』
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2月29日 | お龍、三吉慎蔵とともに京都を出立し伏見に下る。
『三吉慎蔵日記』
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3月1日 | 伏見から大坂に下る。
『坂本龍馬手帳摘要』
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3月-日 | 幕府批判の文書を記す。
『3月付書面』
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3月4日 | 薩摩藩船三邦丸に乗船する。
『坂本龍馬手帳摘要』
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3月5日 | 三邦丸、大坂沖を出港する。
『坂本龍馬手帳摘要』
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3月6日 | 三邦丸、下関に寄港する。
『坂本龍馬手帳摘要』
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3月8日 | 三邦丸、長崎に寄港。龍馬はお龍とともに近藤長次郎の墓参りをする。
『維新土佐勤王史』
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3月10日 | 三邦丸、鹿児島に到着する。
『反魂香』
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3月16日 | お龍を伴い日当山温泉に向かう。
『坂本龍馬手帳摘要』
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3月17日 | 塩浸温泉に到着する。
『坂本龍馬手帳摘要』
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3月28日 | 湯治中の小松帯刀を見舞い、その後霧島温泉に宿泊する。
『小松帯刀日記』
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3月29日 | 霧島山に登り、霧島神宮に宿泊する。
『坂本龍馬手帳摘要』
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3月30日 | 霧島温泉に戻る。
『坂本龍馬手帳摘要』
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4月1日 | 塩浸温泉に戻る。
『坂本龍馬手帳摘要』
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4月8日 | 日当山に戻る。
『坂本龍馬手帳摘要』
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4月11日 | 浜之市に戻る。
『坂本龍馬手帳摘要』
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4月12日 | 鹿児島に帰る。
『坂本龍馬手帳摘要』
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4月14日 | 開成所を訪れる。
『坂本龍馬手帳摘要』
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5月1日 | ワイルウェフ号とともに長崎を出港したユニオン号(桜島丸)、長州藩の兵糧米を積んで鹿児島に入港する。
『坂本龍馬手帳摘要』
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5月2日 | ワイルウェフ号、五島列島中通島潮屋崎沖で座礁し、乗員の黒木小太郎、池内蔵太らが死亡する。
『墓碑銘』
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5月29日 | 西郷吉之助らと面談する。
『坂本龍馬手帳摘要』
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同日 | 新宮馬之助から4両3分を借用する。
『坂本龍馬手帳摘要』
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6月1日 | お龍と桜島丸に乗船する。
『坂本龍馬手帳摘要』
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6月4日 | 桜島丸、長崎に寄港。お龍を小曾根英四郎の別邸に預ける。
『12月4日付 龍馬書簡』
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6月14日 | 桜島丸、下関に到着する。
『奇兵隊日記』
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同日 | 高杉晋作と面談し、幕府軍攻撃を依頼される。
『山縣公遺稿・こしのやまかぜ』
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6月15日頃 | 木戸貫治と面談し、桜島丸が搬送した兵糧米を社中に貰い受ける。
『維新土佐勤王史』
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6月16日 | 品川省吾の訪問を受けた後、高杉晋作と面談する。
『6月16日付 龍馬書簡』
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6月17日 | 乙丑丸(ユニオン号、桜島丸)、長州藩軍艦とともに小倉藩領門司浦を砲撃する。
『修訂防長回天史』
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6月20日 | 白石正一郎方で高杉晋作と面談する。
『白石正一郎日記摘要』
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6月25日 | 長州藩主・毛利敬親に拝謁し、羅紗生地を拝領する。
『山口藩庁来訪他国人リスト』
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7月3日 | 小郡から下関に向かう。
『7月4日付 龍馬書簡』
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7月4日 | 木戸貫治に下関到着を知らせる手紙を書く。
『7月4日付 龍馬書簡』
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7月27日 | 木戸貫治に幕府軍の動静を伝える手紙を書く。
『7月27日付 龍馬書簡』
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7月28日 | 三吉慎蔵に社中の窮状を伝えるとともに、大洲藩が五代才助に依頼して水夫と機関士の借用を申し入れ、これを了承したことを伝える手紙を書く。
『7月28日付 龍馬書簡』
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8月13日 | 森玄道、伊藤助太夫に小曽根英四郎の身柄保全を依頼する手紙を書く。
『8月13日付 龍馬書簡』
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8月16日 | 三吉慎蔵に幕府が海峡封鎖を解いた旨を伝える手紙を書く。
『8月16日付 龍馬書簡』
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同日 | 小曽根英四郎の身柄保全のため、入木屋重平の番頭・与平を下関に派遣する。
『8月16日付 龍馬書簡』
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8月25日頃 | 越前藩士・下山尚をたずね面談する。
『西南紀行』
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8月下旬 | 下山尚の訪問を受け時勢を談じる。
『西南紀行』
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10月3日 | 龍馬ら社中の7人、薩摩藩から給金を受領する。
『坂本龍馬手帳摘要』
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10月22日 | 帆船購入のためプロシャ商人チョルチーと面談する。
『坂本龍馬手帳摘要』
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10月23日 | 船の検分をする。
『坂本龍馬手帳摘要』
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10月24日 | 薩摩藩留守居役・汾陽五郎右衛門をたずねる。
『坂本龍馬手帳摘要』
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10月28日 | 帆船を受け取り、大極丸と命名する。
『坂本龍馬手帳摘要』
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11月-日 | 五代才助、広沢真臣らと面談して「商社示談箇条書」を作成する。
『維新土佐勤王史』
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11月-日 | 溝渕広之丞と対面する。
『12月4日付 龍馬書簡』
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11月15日 | 溝渕広之丞に小銃購入の件を相談する。
『12月16日付 龍馬書簡』
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11月16日 | 溝渕広之丞に小銃購入の依頼状を書き、「才谷梅太郎」の変名を使用する。
『11月16日付 龍馬書簡』
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11月20日 | 寺田屋登勢にお龍の母親の面倒を依頼する手紙を書き、「取巻の抜六」と自称する。
『11月20日付 龍馬書簡』
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12月4日 | 小曽根英四郎方から兄・権平に家宝の甲冑あるいは刀を求める手紙を書く。
『12月4日付 龍馬書簡』
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同日 | 兄・権平等一同にこの1年を回顧した手紙を書く。
『12月4日付 龍馬書簡』
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同日 | 姉・乙女にお龍との結婚と新婚旅行を伝える手紙を書く。
『12月4日付 龍馬書簡』
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12月15日 | 伊藤助太夫方から木戸貫治に面談を求める手紙を書く。
『12月15日付 龍馬書簡』
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12月20日 | 伊藤助太夫に溝渕広之丞の長崎行の船便を依頼する手紙を書く。
『12月20日付 龍馬書簡』
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12月25日 | いろは丸購入の責任をとって自刃した大洲藩士・国島六左衛門の遺体と対面する。
『いろは丸終始顛末』
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