2019年12月14日
2000年08月03日
坂本龍馬年譜 (八)
慶応三年 (1867年) 坂本龍馬33歳 | |
7月1日 | 中岡慎太郎とともに十津川屋敷へ行き、「松本楼」に後藤象二郎をたずねる。
『寺村左膳道成日記』
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7月4日 | 長岡謙吉とともに京都から大坂に下る。
『海援隊日史』
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7月5日 | 大坂に到着する。
『海援隊日史』
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7月6日 | 長崎でイギリス軍艦イカルス号水兵殺害事件がおこり、海援隊士に疑いがかけられる。
『保古飛呂比』
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7月9日 | 薩摩藩士・黒田了介、永山弥一郎の訪問を受ける。
『保古飛呂比』
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7月中旬 | 幕府による兵庫商社設立に対し対抗策を案出する。
『忠義公史料』
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7月20日 | 京都に戻る。
『行々筆記』
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7月25日 | 大極丸船員による殺人事件の対処法について西郷吉之助をたずねる。
『7月25日付 西郷隆盛書簡』
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同日 | 高松太郎に大極丸事件について手紙を書く。
『7月25日付 龍馬書簡』
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7月27日 | 福岡藤次と宇和島藩主・伊達宗城に拝謁する。
『伊達宗城在京日記』
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7月29日 | 松平春嶽から山内容堂宛の親書を届けるため、土佐へ向かう佐々木三四郎を追って京都から大坂へ下る。
『行々筆記』
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8月1日 | 佐々木三四郎を追って薩摩藩船三邦丸に乗り込み、そのまま土佐に向かう。
『保古飛呂比』
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8月2日 | 三邦丸、須崎港に入港。龍馬は上陸せず、土佐藩船夕顔に潜伏する。
『保古飛呂比』
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8月5日 | 長岡謙吉と寺田屋登勢に土佐到着を知らせる手紙を書く。
『8月5日付 龍馬書簡』
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8月8日 | イカルス号事件は長崎での審問が決定。ハリー・パークスは横浜へ向かう。
『保古飛呂比』
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同日 | 兄・権平にイカルス号事件を伝え、無銘了戒の刀を所望する手紙を書く。
『8月8日付 龍馬書簡』
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8月12日 | 佐々木三四郎、岡内俊太郎らとともに夕顔丸で長崎に向かう。
『保古飛呂比』
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8月14日 | 下関に寄港した夕顔丸を下船し、佐々木三四郎にお龍を紹介する。夕方より夕顔丸は長崎に向けて出港する。
『保古飛呂比』
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同日 | 三吉慎蔵に下関到着を知らせ、雄藩による連合艦隊編成を説く手紙を書く。
『8月14日付 龍馬書簡』
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8月15日 | 長崎に到着した夕顔丸から下船。佐々木三四郎の宿にて松井周助、岩崎弥太郎を交えて談ずる。
『保古飛呂比』
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8月16日 | 佐々木三四郎、岩崎弥太郎と会談し、イカルス号事件の処置について協議する。
『保古飛呂比』
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同日 | 陸奥陽之助に手紙を書く。
『8月16日付 龍馬書簡』
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8月17日 | 岩崎弥太郎をたずねて面談する。
『瓊浦日歴』
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同日 | 佐々木三四郎をたずねる。
『保古飛呂比』
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同日 | 中井庄五郎に贈る青江吉次の刀の添え状を書く。
『8月17日付 龍馬書簡』
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8月18日 | 佐々木三四郎をたずね、横笛丸呼び出しの件について論ずる。
『思出艸』
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同日 | 龍馬ら佐々木三四郎とともに立山役所に出頭する。
『瓊浦日歴』
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8月19日 | 岡内俊太郎を中島作太郎方に招く。
『8月19日付 龍馬書簡』
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8月20日 | 料亭「玉川」で佐々木三四郎に木戸準一郎を紹介する。
『保古飛呂比』
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8月21日 | 岩崎弥太郎に長州藩船修理費用の融通を依頼する。
『瓊浦日歴』
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同日 | 海援隊の探索費用として佐々木三四郎から8両2分を受け取る。
『保古飛呂比』
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同日 | 岡内俊太郎に長州藩船の出港予定を報告する。
『8月21日付 龍馬書簡』
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8月23日 | 岡内俊太郎に来訪を求める手紙を書く。
『8月23日付 龍馬書簡』
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8月24日 | 佐々木三四郎らと横笛丸の呼び出しを協議し、石田英吉らの派遣を決定する。
『保古飛呂比』
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同日 | 佐々木三四郎に石田英吉への金銭援助を依頼する手紙を書く。
『8月24日付 龍馬書簡』
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8月25日 | 佐々木三四郎に石田英吉を派遣し、20両を受領する。
『保古飛呂比』
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同日 | 龍馬ら佐々木三四郎をたずねる。
『保古飛呂比』
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同日 | 岩崎弥太郎も訪問する。
『保古飛呂比』
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8月26日 | 佐々木三四郎に木戸準一郎の土佐批判を伝える手紙を書く。
『8月26日付 龍馬書簡』
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同日 | 夕刻より佐々木三四郎をたずね、ともに「藤屋」へ赴く。
『保古飛呂比』
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8月27日 | 福原往弥らの訪問を受け、佐々木三四郎にその旨を報告する。
『8月27日付 龍馬書簡』
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同日 | 岩崎弥太郎に福原往弥らを紹介する。
『瓊浦日歴』
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8月28日 | 佐々木三四郎をたずね、そのまま宿泊する。
『保古飛呂比』
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8月29日 | 佐々木三四郎と昨夜来の話を寝所で続ける。
『保古飛呂比』
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8月30日 | 岩崎弥太郎を訪れ国事を談じた後、「嘉満楼」へ行く。
『瓊浦日歴』
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同日 | 佐々木三四郎をたずね、キリシタンを利用した討幕案を語り合う。
『保古飛呂比』
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9月1日 | 早朝から佐々木三四郎の病気見舞いに行き、帰宅後再訪する。
『保古飛呂比』
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9月2日 | 横笛丸が長崎に到着。佐々木三四郎はその旨を役所に届け、龍馬の宿「弘瀬屋」をたずねる。
『保古飛呂比』
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9月3日 | 松井周助とともに西役所での横笛丸乗組員の取り調べに立ち会う。
『遠い崖』
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同日 | 龍馬ら審問終了後に清風亭で尾崎三良らを交えて盃を交わす。
『保古飛呂比』
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9月4日 | 佐々木三四郎、佐々木栄の帰着に始末書を奉行所へ提出した後、龍馬とともに「内田屋」へ赴く。
『保古飛呂比』
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9月5日 | 龍馬ら佐々木三四郎をたずね、それから西役所へ行く。
『保古飛呂比』
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同日 | 安岡金馬の招きを断る。
『9月5日付 龍馬書簡』
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9月上旬 | 佐々木三四郎訪問中に海援隊の揉め事の報告を受け、中島作太郎を呼び論告する。
『勤王志士佐々木老候昔日談』
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9月6日 | 船の借り入れとライフル銃1000挺購入のために外出し、その後に訪問する旨を佐々木三四郎に伝える。
『9月6日付 龍馬書簡』
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9月7日 | 佐々木栄らの処遇を佐々木三四郎に伝える手紙を書く。
『9月7日付 龍馬書簡』
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9月8日 | 佐々木三四郎の招きで「内田屋」に赴き慰労される。
『保古飛呂比』
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9月9日 | 「藤屋」で佐々木三四郎と面談する。
『保古飛呂比』
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9月10日 | 佐々木三四郎と西役所へ出頭。佐々木栄らの無罪裁定を受け、それより「内田屋」で祝杯をあげる。
『保古飛呂比』
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9月11日 | 奉行所へ提出する書類の草稿を書く。
『保古飛呂比』
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同日 | 土佐商会員による外国人傷害事件がおこり、佐々木三四郎と協議の上奉行所に自首させる。
『保古飛呂比』
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9月13日 | ライフル銃の代金を整え、買い付けを陸奥陽之助に任せる。
『保古飛呂比』
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同日 | 陸奥陽之助に佐々木三四郎の宿へ行くようにとの手紙を書く。
『9月13日付 龍馬書簡』
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9月14日 | 岩崎弥太郎に土佐経由で大坂に向かうことを告げる。
『瓊浦日歴』
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同日 | 海援隊、龍馬名義でハットマン商社とライフル銃1300挺購入の契約を結ぶ。
『海援隊商事秘記』
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9月15日 | 龍馬ら出帆に備えて震天丸に銃器を積み込むが、オールトの依頼で出帆を延期する。
『海援隊商事秘記』
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9月18日 | 佐々木三四郎に預けていた木戸準一郎の手紙の返却を求める手紙を書く。
『9月18日付 龍馬書簡』
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同日 | 岡内俊太郎、尾崎三良、千屋寅之助らと震天丸に乗船し、長崎を出港する。
『尾崎三良自叙略伝』
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9月20日 | 震天丸、下関に寄港する。
『9月20日付 龍馬書簡』
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同日 | 伊藤俊輔と面談する。
『9月20日付 龍馬書簡』
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同日 | 木戸準一郎に土佐藩への銃器搬入と藩論変更に言及した手紙を書く。
『9月20日付 龍馬書簡』
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9月22日 | 震天丸、土佐に向けて下関を出帆する。
『9月22日付 伊藤博文書簡』
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9月23日 | 中島作太郎、尾崎三良とともに土佐に下船。中城家で入浴後、再び船に戻る。
『随聞随録』
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同日 | 岡内俊太郎を渡辺弥久馬のもとへ派遣し、翌日の面会を取り付ける。
『岡内俊太郎追憶書簡』
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9月24日 | 渡辺弥久馬、龍馬と会えずに帰宅する。
『斎藤利行日記』
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同日 | 渡辺弥久馬に薩長の動きを知らせ、面会を求める手紙を書く。
『9月24日付 龍馬書簡』
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9月25日 | 渡辺弥久馬、本山只一郎、森権次と会談する
『斎藤利行日記』
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9月27日 | 本山只一郎に藩論の統一とライフル銃購入を促す手紙を書く。
『9月27日付 龍馬書簡』
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9月28日 | 戸田雅楽をともない実家に帰る。
『尾崎三良自叙略伝』
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10月1日 | 龍馬らを乗せた震天丸、浦戸港を出帆するが悪天候のため須崎港に引き返す。
『保古飛呂比』
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10月3日 | 高松太郎に出港延期の可能性を伝える手紙を書く。
『10月3日付 龍馬書簡』
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同日 | 大政奉還の建白書が提出される。
『徳川慶喜公伝』
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10月5日 | 龍馬らを乗せた空蝉丸、浦戸港を出帆するが暴風のため機関を損じ、須崎港に引き返す。
『10月14日付 岡内俊太郎書簡』
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同日 | 吉井幸輔に神崎則休の遺刀を贈る旨の手紙を書く。
『10月5日付 龍馬書簡』
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10月8日 | 空蝉丸、兵庫に入港する。
『寺村左膳道成日記』
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同日 | 龍馬一行、大坂入りして「薩摩屋」で同志と面談する。
『10月14日付 岡内俊太郎書簡』
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10月9日 | 中島作太郎と京都へ上り、材木商「酢屋」に投宿する。
『10月14日付 岡内俊太郎書簡』
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同日 | 兄・権平に大坂到着を知らせる手紙を書く。
『10月9日付 龍馬書簡』
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10月10日 | 龍馬、中島作太郎、岡内俊太郎、白川藩邸の中岡慎太郎をたずねて諸藩の様子を聞く。
『10月14日付 岡内俊太郎書簡』
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10月11日頃 | 後藤象二郎に銀座移転論を述べた手紙を書く。
『10月付 龍馬書簡』
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同日頃 | 後藤象二郎に金20両の借用を申し込む。
推定『年次無記入 龍馬書簡』
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10月13日 | 「酢屋」から「近江屋」に宿を代える。
『岡内の書簡抄』
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同日 | 登城前の後藤象二郎に決死の覚悟を促す手紙を書く。
『10月13日付 龍馬書簡』
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同日 | 後藤象二郎から覚悟のほどを伝える返書が届く。
『10月13日付 龍馬書簡』
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同日 | 大政奉還が決定され、二条城より戻った後藤象二郎から報告が届く。
『10月13日付 龍馬書簡』
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同日 | 「討幕の密勅」が薩長両藩に下される。
『大久保利通日記』
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10月14日頃 | 尾崎三良、龍馬の意を受けて「新官制擬定書」を作成する。
『尾崎三良自叙略伝』
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同月中 | 御陵衛士の伊藤甲子太郎、藤堂平助の訪問を受け、同席していた中岡慎太郎とともに身辺警戒の忠告を受ける。
『池田徳太郎事歴』
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10月15日 | 朝廷、幕府の大政奉還を受理する。
『徳川慶喜公伝史料編』
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同日頃 | 林謙三と面談し大政奉還後の見通しを語る。
『男爵安保清康自叙伝』
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10月16日 | 神山左多衛と出会い後藤象二郎をたずねた後、「松力」にて田中幸助を交えて酒を酌み交わす。
『神山左多衛雑記』
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10月17日 | 吉井幸輔から「近江屋」よりの転居を勧められる。
『10月18日付 龍馬書簡』
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10月18日 | 望月清平に転居先の周旋を依頼する手紙を書く。
『10月18日付 龍馬書簡』
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同日 | 御陵衛士の屯所「月真院」を訪れる。
『史談会速記録』
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10月19日 | いろは丸賠償金再交渉のため中島作太郎を長崎に派遣する。
『坂本龍馬海援隊始末』
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同日 | 土佐に出立する望月清平を伏見まで送る。
『坂本龍馬伝』
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10月22日 | 陸奥陽之助に仙台の国産取引に関する手紙を書く。
『10月22日付 龍馬書簡』
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10月23日 | 後藤象二郎から越前福井行を依頼される。
『10月24日付 龍馬書簡』
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10月24日 | 岡本健三郎に福井出立時刻を伝え、ともに旅立つ。
『10月24日付 龍馬書簡』
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10月28日 | 福井に到着し、村田巳三郎と面談する。
『越前藩幕末維新公用日記』
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10月30日 | 松源太郎、三岡八郎(由利公正)と面談する。
『越前藩幕末維新公用日記』
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11月1日 | 越前藩主・松平春嶽に拝謁し、後藤象二郎からの上京要請を伝える。
『由利公正覚書』
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11月2日 | 三岡八郎の来訪を受け、朝から深夜まで新政府財政策を聞く。
『由利公正覚書』
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11月3日 | 龍馬ら福井を出立する。
『由利公正覚書』
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11月5日 | 京都に到着する。
『由利公正覚書』
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11月7日 | 陸奥陽之助に与三郎の長崎行について注意を与える手紙を書く。
『11月7日付 龍馬書簡』
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11月10日 | 福岡藤次とともに永井尚志をたずねるが、会えずに帰る。
『神山左多衛雑記』
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同日 | 散歩中の中村半次郎と出会う。
『京在日記』
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同日 | 広島藩士林謙三に返書を書く。
『11月10日付 龍馬書簡』
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同日 | 順助に100両の返金を求める手紙を書く。
『11月10日付 龍馬書簡』
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11月11日 | 朝、幕府大目付永井尚志をたずねて面談する。
『11月11日付 龍馬書簡』
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同日 | 夜、永井尚志と面談する。
『神山左多衛雑記』
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同日 | 林謙三に永井尚志との面談を伝える手紙を書く。
『11月11日付 龍馬書簡』
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11月13日 | 王政復古確立のため岡内俊太郎を土佐に、中島作太郎を長崎に派遣する。
『後藤象二郎』
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11月14日 | 朝より潜居先の近江屋土蔵から母屋2階に移るという。
『坂本龍馬関係文書』
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同日 | 永井尚志をたずねて面談する。
『丁卯日記』
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同日 | 坂本清三郎に長崎行の船便があることを伝える手紙を書く。
『土佐維新史料』
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同日 | 寺田屋お登勢、龍馬の身を案じて近江屋に使いを差し向ける。
『謹デ申上奉候覚書』
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11月15日 | 福岡藤次の下宿を午後3時と5時の2度にわたってたずねる。
『雋傑坂本龍馬』
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同日 | 夕刻、中岡慎太郎と面談し、菊屋峰吉と岡本健三郎がたずねて来る。
『殉難録稿』
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同日 | 伏見から帰京の宮地彦三郎が来訪し、挨拶を交わす。
『宮地彦三郎真雄略伝』
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同日 | 淡海槐堂の訪問を受けるという。
『淡海槐堂先生略伝』
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同日 | 菊屋峰吉、龍馬に頼まれて軍鶏を買いに出かけ、岡本健三郎も近江屋を辞去する。
『維新史跡図説』
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同日 | 龍馬と中岡慎太郎、近江屋の2階で刺客に襲われ、龍馬はほぼ即死。
『寺村左膳道成日記』
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11月16日 | 刺客の名札を取り次いださいに斬られた山田藤吉が死亡する。
『11月18日付 宮地彦三郎書簡』
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11月17日 | 重傷だった中岡慎太郎、午後になって絶命する。
『11月18日付 宮地彦三郎書簡』
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同日 | 大坂の海援隊士たち、悲報を受け近江屋に駆けつける。
『海援隊日記』
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同日 | 龍馬、中岡慎太郎、山田藤吉の遺骸が夜に東山の霊山に埋葬される。
『海援隊日記』
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11月27日 | 長崎の海援隊士のもとに訃報が届けられる。
『保古飛呂比』
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12月2日 | 下関のお龍、佐柳高治から龍馬の死を知らされる。
『三吉慎蔵日記』
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慶応4年
1868年
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7月1日 | 高松太郎、権平・乙女・春猪に宛てて龍馬の死を知らせる手紙を書く。
『7月1日付 高松太郎書簡』
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