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初恋のひと

リョーマの奇行

龍馬が脱藩する半年前の文久元年(1861年)9月13日、平井加尾に送ったふしぎな手紙がある。加尾は土佐勤王党の同志・平井収二郎の妹で、このとき24歳。安政6年(1859年)に前藩主・山内容堂の妹が三条実美の兄・公睦に嫁いださいに侍女としてつき従い上京し、三条家につかえていた。

もともと坂本家と平井家は家族ぐるみのつき合いがあり、龍馬の姉・乙女と加尾は一絃琴の稽古友達であった。その関係で龍馬と加尾は昔からよく知りあう仲で、龍馬の初恋の相手ともいわれる。

『(推定)文久元年9月13日付平井かほ宛 龍馬書簡』

先づ〻〻御無事とぞんじ上候。天下の時勢切迫致し候に付、
一、高マチ袴
一、ブツサキ羽織
一、宗十郎頭巾
外に細き大小一腰各々一ツ、御用意あり度存上候。
九月十三日
 坂本龍馬
 平井かほどの


[現代語・意訳]

まずまずご無事のことと存じあげます。天下の時勢はは大変切迫いたしておりますので、
一、高マチ袴(乗馬用の袴)
一、ブツサキ羽織(背中の下半分が左右に割れた羽織)
一、宗十郎頭巾(覆面の頭巾)
他には細めの刀の大小一腰をおのおの一つ、などを用意していただければと考えております。
九月十三日
 坂本龍馬
 平井かほどの

龍馬の突然の申し出に加尾は内容の意味がわからず困惑したが、苦心しながらも指示通りの一式を用意する。

人目もあるので、親戚への土産物と称して袴と羽織の生地を出入りの呉服屋から取り寄せた。そして、細き大小の刀の小は土佐勤王党員の池内蔵太より返却された懐刀を代用し、大は自分で用意するのは難しいので国もとの兄・収二郎に頼んで送ってもらった。ただし、兄が心配するので、龍馬の手紙のことは黙っていたという。

『平井女史の涙痕録』

龍馬の奇行ハ今に始めぬことながら、定めて一大事を思ひ立ちしものならん、と女史ハ人目もあれバ、袴地と羽織地とハ親戚への土産物にかこつけ、御出入の呉服屋より取寄せて之を裁ち、何時仕立て得らるる様に用意し、扨て大小の一腰にハ女史もほとほと当惑なしけるが、小は池の許より返し来れる例の懐剣にて苦しかるまじ、大ハ己が力に及ばざれバ国許なる兄へ頼み遣はし、細身の刀を取寄せ置きぬ。但し、兄へ龍馬書翰の事ハ告げず。

だが、このあと龍馬が加尾のもとを訪れることはなかったため、結局どのような目的で集めさせたかはわかっていない。一説には、加尾を男装させ勤王活動に参加させようとしていたとも。

承知してはならぬ

加尾が初恋の相手かどうかはわからないが、龍馬とかなり親しかったことは確かであり、収二郎は龍馬の脱藩を知ると次のような手紙を妹に書き送っている。

『文久2年3月25日付平井加尾宛 平井収二郎書簡』

坂本龍馬昨廿四日之夜亡命、定めて其地へ参り申へく、龍馬国を出る前々日、其許の事に付、相談に逢候。
たとひ龍馬よりいかなる事を相談いたし候とも決して承知不可致。其許は家にありて父母にしたがふ身分なれば、他人の為に人に遣はれ候事は出来不申候。
元より龍馬は人物なれども、書物を読ぬ故、時としては間違ひし事も御座候は、よくよく御心得あるへく候。
只只拙者も其許も報恩の節を失せず、忠孝の道に欠けさる様、致され度候。めてたくかしく。
 収二郎
 かほとの


[現代語・意訳]

坂本龍馬が昨24日の夜脱藩した。恐らく京都に行くと思う。龍馬は国を出る前の日、お前のことをいろいろたずねていたから違いない。
たとえ龍馬からどのような事を相談されても、決して承知してはならない。お前は家にあって父母に尽くさなければならない身だから、他人のために働くことはできない。
もとより龍馬は人物ではあるが、本を読まないので時には間違えることもある。よく心得ておいて欲しい。
ただただ私もお前も報恩を失わず、忠孝一途に励むことを心掛けよう。
 収二郎
かおどの


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